文部大臣 (日本)查看源代码讨论查看历史
日本文部卿/文部大臣 文部卿/文部大臣 (もんぶきょう/もんぶだいじん) |
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官邸 文部省 |
首任 文部卿:大木喬任 文部大臣:森有禮 |
設立 明治4年7月18日 (1871年9月2日) |
廢除 2001年(平成13年)1月5日 |
初代文部卿, 大木喬任 |
初代文部大臣, 森有礼 圖片來源:published by 東洋文化協會 |
文部大臣(日语:文部大臣/もんぶだいじん Monbu daijin),簡稱為文相(日语:ぶんしょう Bunshō),其前身為文部卿(日语:文部卿/もんぶきょう Monbu kyō)。文部大臣是日本的國務大臣,執掌為了管理教育行政而設置的日本行政機關(文部省)。其於明治4年7月18日(1871年9月2日)開始,到2001年(平成13年)1月5日為止,共計129年4個月3天。[1]
此外,於2001年(平成13年)1月6日,文部省和科学技術廳 兩者合併為文部科學省,其首長變為文部科学大臣。
注腳可於此查看[注 1][注 2][注 3]。關於部長的職能、文部省,可參見文部省。
歷代文部卿
此處列出歷代文部卿之信息[2]。
代数 | 姓名 | 在任期間 | 出身體系等 |
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1 | 大木喬任 | 明治4年7月28日(1871年9月12日) - 1873年(明治6年)4月19日 |
肥前藩 |
2 | 木戸孝允 | 1874年(明治7年)1月25日 - 1874年(明治7年)5月13日 |
長州藩 |
- | - | 木戸辞任至西鄉上任期間,作為文部大輔的田中不二麿 (尾張藩出身)代為文部卿之職務[注 4]。 | |
3 | 西鄉從道 | 1878年(明治11年)5月24日 - 1878年(明治11年)12月24日 |
薩摩藩 |
4 | 寺島宗則 | 1879年(明治12年)9月10日 - 1880年(明治13年)2月28日 |
薩摩藩 |
5 | 河野敏鎌 | 1880年(明治13年)2月28日 - 1881年(明治14年)4月7日 |
土佐藩 |
6 | 福岡孝弟 | 1881年(明治14年)4月7日 - 1883年(明治16年)12月12日 |
土佐藩 |
7 | 大木喬任 | 1883年(明治16年)12月12日 - 1885年(明治18年)12月22日 |
肥前藩 |
歷代文部大臣
此處列出歷代文部大臣之信息[3]。
注釋:粗體為曾擔任或擔任內閣總理大臣之人士
大日本帝国憲法時代
代数 | 姓名 | 內閣 | 就任年月日 | 出身體系等 |
---|---|---|---|---|
1 | 森有礼 | 第1次伊藤内閣 黒田内閣 |
1885年(明治18年)12月22日 | 薩摩藩 |
- | 大山巌 (臨時兼任) |
黒田内閣 | 1889年(明治22年)2月16日[4] | 薩摩藩 |
2 | 榎本武揚 | 黒田内閣 第1次山縣内閣 |
1889年(明治22年)3月22日 | 幕臣 |
3 | 芳川顕正 | 第1次山縣内閣 第1次松方内閣 |
1890年(明治23年)5月17日 | |
4 | 大木喬任 | 第1次松方内閣 | 1891年(明治24年)6月1日 | |
5 | 河野敏鎌 | 第2次伊藤内閣 | 1892年(明治25年)8月8日 | |
6 | 井上毅 | 第2次伊藤内閣 | 1893年(明治26年)3月7日 | |
- | 芳川顕正 (臨時兼任) |
第2次伊藤内閣 | 1894年(明治27年)8月29日 | |
7 | 西園寺公望 | 第2次伊藤内閣 第2次松方内閣 |
1894年(明治27年)10月3日 | |
8 | 蜂須賀茂韶 | 第2次松方内閣 | 1896年(明治29年)9月28日 | |
9 | 浜尾新 | 第2次松方内閣 | 1897年(明治30年)11月6日 | |
10 | 西園寺公望 | 第3次伊藤内閣 | 1898年(明治31年)1月12日 | |
11 | 外山正一 | 第3次伊藤内閣 | 1898年(明治31年)4月30日 | |
12 | 尾崎行雄 | 第1次大隈内閣 | 1898年(明治31年)6月30日 | 憲政党 |
13 | 犬養毅 | 第1次大隈内閣 | 1898年(明治31年)10月27日 | |
14 | 樺山資紀 | 第2次山縣内閣 | 1898年(明治31年)11月8日 | 海軍 |
15 | 松田正久 | 第4次伊藤内閣 | 1900年(明治33年)10月19日 | 立憲政友会 |
16 | 菊池大麓 | 第1次桂内閣 | 1901年(明治34年)6月2日 | 貴族院 |
17 | 兒玉源太郎 (兼任) |
第1次桂内閣 | 1903年(明治36年)7月17日 | 陸軍 |
18 | 久保田譲 | 第1次桂内閣 | 1903年(明治36年)9月22日 | |
19 | 桂太郎 (兼任) |
第1次桂内閣 | 1905年(明治38年)12月14日 | 陸軍 |
- | 西園寺公望 (臨時兼任) |
第1次西園寺内閣 | 1906年(明治39年)1月7日 | 立憲政友会 |
20 | 牧野伸顕 | 第1次西園寺内閣 | 1906年(明治39年)3月27日 | |
21 | 小松原英太郎 | 第2次桂内閣 | 1908年(明治41年)7月14日 | |
22 | 長谷場純孝 | 第2次西園寺内閣 | 1911年(明治44年)8月30日 | 立憲政友会 |
- | 牧野伸顕 (臨時兼任) |
第2次西園寺内閣 | 1912年(大正元年)11月9日 | |
23 | 柴田家門 | 第3次桂内閣 | 1912年(大正元年)12月21日 | |
24 | 奥田義人 | 第1次山本内閣 | 1913年(大正2年)2月20日 | 立憲政友会 |
25 | 大岡育造 | 第1次山本内閣 | 1914年(大正3年)3月6日 | 貴族院 |
26 | 一木喜徳郎 | 第2次大隈内閣 | 1914年(大正3年)4月16日 | |
27 | 高田早苗 | 第2次大隈内閣 | 1915年(大正4年)8月10日 | 貴族院 |
28 | 岡田良平 | 寺内内閣 | 1916年(大正5年)10月9日 | 貴族院 |
29 | 中橋徳五郎 | 原内閣 高橋内閣 |
1918年(大正7年)9月29日 | 立憲政友会 |
30 | 鎌田栄吉 | 加藤友三郎内閣 | 1922年(大正11年)6月12日 | |
31 | 犬養毅 (兼任) |
第2次山本内閣 | 1923年(大正12年)9月2日 | |
32 | 岡野敬次郎 | 第2次山本内閣 | 1923年(大正12年)9月6日 | |
33 | 江木千之 | 清浦内閣 | 1924年(大正13年)1月7日 | |
34 | 岡田良平 | 加藤高明内閣 第1次若槻内閣 |
1924年(大正13年)6月11日 | |
35 | 三土忠造 | 田中義一内閣 | 1927年(昭和2年)4月20日 | 立憲政友会 |
36 | 水野錬太郎 | 田中義一内閣 | 1927年(昭和2年)6月2日 | 立憲政友会 |
37 | 勝田主計 | 田中義一内閣 | 1928年(昭和3年)5月25日 | 貴族院 |
38 | 小橋一太 | 濱口内閣 | 1929年(昭和4年)7月2日 | 立憲民政党 |
39 | 田中隆三 | 濱口内閣 第2次若槻内閣 |
1929年(昭和4年)11月29日 | 立憲民政党 |
40 | 鳩山一郎 | 犬養内閣 齋藤内閣 |
1931年(昭和6年)12月13日 | 立憲政友会 |
41 | 斎藤実 (兼任) |
齋藤内閣 | 1933年(昭和8年)3月3日 | 海軍 |
42 | 松田源治 | 岡田内閣 | 1934年(昭和9年)7月8日 | 立憲民政党 |
43 | 川崎卓吉 | 岡田内閣 | 1936年(昭和11年)2月2日 | 立憲民政党 |
44 | 潮恵之輔 (兼任) |
廣田内閣 | 1936年(昭和11年)3月9日 | |
45 | 平生釟三郎 | 廣田内閣 | 1936年(昭和11年)3月25日 | 貴族院 |
46 | 林銑十郎 (兼任) |
林内閣 | 1937年(昭和12年)2月2日 | 陸軍 |
47 | 安井英二 | 第1次近衛内閣 | 1937年(昭和12年)6月4日 | 内務官僚 |
48 | 木戸幸一 | 第1次近衛内閣 | 1937年(昭和12年)10月22日 | |
49 | 荒木貞夫 | 第1次近衛内閣 平沼内閣 |
1938年(昭和13年)5月26日 | 陸軍 |
50 | 河原田稼吉 | 阿部内閣 | 1939年(昭和14年)8月30日 | |
51 | 松浦鎮次郎 | 米内内閣 | 1940年(昭和15年)1月16日 | 文部官僚 |
52 | 橋田邦彦 | 第2次近衛内閣 第3次近衛内閣 東條内閣 |
1940年(昭和15年)7月22日 | 東大教授 |
53 | 東條英機 (兼任) |
東條内閣 | 1943年(昭和18年)4月20日 | 陸軍 |
54 | 岡部長景 | 東條内閣 | 1943年(昭和18年)4月23日 | |
55 | 二宮治重 | 小磯内閣 | 1944年(昭和19年)7月22日 | 陸軍 |
56 | 兒玉秀雄 | 小磯内閣 | 1945年(昭和20年)2月10日 | |
57 | 太田耕造 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年(昭和20年)4月7日 | |
58 | 松村謙三 (兼任) |
東久邇宮内閣 | 1945年(昭和20年)8月17日 | 大日本政治会 |
59 | 前田多門 | 東久邇宮内閣 幣原内閣 |
1945年(昭和20年)8月18日 | 貴族院 |
60 | 安倍能成 | 幣原内閣 | 1946年(昭和21年)1月13日 | 貴族院 |
61 | 田中耕太郎 | 第1次吉田内閣 | 1946年(昭和21年)5月22日 | 民間人士 |
日本國憲法頒佈後
代数 | 姓名 | 內閣 | 就任年月日 | 出身體系等 |
---|---|---|---|---|
62 | 高橋誠一郎 | 第1次吉田内閣 | 1947年(昭和22年)1月31日 | 民間人士 |
- | 片山哲 (臨時代理) |
片山內閣 | 1947年(昭和22年)5月24日 | 日本社会黨 |
63 | 森戸辰男 | 片山内閣 | 1947年(昭和22年)6月1日 | 日本社会黨 |
64 | 芦田内閣 | 1948年(昭和23年)3月10日 | ||
- | 吉田茂 (臨時代理) |
第2次吉田内閣 | 1948年(昭和23年)10月15日 | |
65 | 下条康麿 | 第2次吉田内閣 | 1948年(昭和23年)10月19日 | 参議院緑風会 |
66 | 高瀬荘太郎 | 第3次吉田内閣 | 1949年(昭和24年)2月16日 | 参議院緑風会 |
67 | 天野貞祐 | 第3次吉田内閣 第3次吉田内閣第1次改組内閣 第3次吉田内閣第2次改造内閣 第3次吉田内閣第3次改造内閣 |
1950年(昭和25年)5月6日 | 民間 |
68 | 岡野清豪 | 第3次吉田内閣第3次改造内閣 | 1952年(昭和27年)8月12日 | 自由黨 |
69 | 第4次吉田内閣 | 1952年(昭和27年)10月30日 | 自由黨 | |
70 | 大達茂雄 | 第5次吉田内閣 | 1953年(昭和28年)5月21日 | 参議院自由黨 |
71 | 安藤正純 | 第1次鳩山内閣 | 1954年(昭和29年)12月10日 | 日本民主黨 |
72 | 松村謙三 | 第2次鳩山内閣 | 1955年(昭和30年)3月19日 | 日本民主黨 |
73 | 清瀬一郎 | 第3次鳩山内閣 | 1955年(昭和30年)11月22日 | 自由民主黨 |
- | 石橋湛山 (臨時代理) |
石橋內閣 | 1956年(昭和31年)12月23日 | |
74 | 灘尾弘吉 | 石橋內閣 | 1956年(昭和31年)12月23日 | 自由民主黨 |
75 | 第1次岸内閣 | 1957年(昭和32年)2月25日 | 自由民主黨 | |
76 | 松永東 | 第1次岸内閣改造内閣 | 1957年(昭和32年)7月10日 | 自由民主黨 |
77 | 灘尾弘吉 | 第2次岸内閣 | 1958年(昭和33年)6月12日 | 自由民主黨 |
78 | 橋本龍伍 | 第2次岸内閣 | 1958年(昭和33年)12月31日 | 自由民主黨 |
79 | 松田竹千代 | 第2次岸内閣改造内閣 | 1959年(昭和34年)6月18日 | 自由民主黨 |
80 | 荒木萬壽夫 | 第1次池田内閣 | 1960年(昭和35年)7月19日 | 自由民主黨 |
81 | 第2次池田内閣 第2次池田内閣第1次改造内閣 第2次池田内閣第2次改造内閣 |
1960年(昭和35年)12月8日 | 自由民主黨 | |
82 | 灘尾弘吉 | 第2次池田内閣第3次改造内閣 | 1963年(昭和38年)7月18日 | 自由民主黨 |
83 | 第3次池田内閣 | 1963年(昭和38年)12月9日 | 自由民主黨 | |
84 | 愛知揆一 | 第3次池田内閣改造内閣 | 1964年(昭和39年)7月18日 | 自由民主黨 |
85 | 第1次佐藤内閣 | 1964年(昭和39年)11月9日 | 自由民主黨 | |
86 | 中村梅吉 | 第1次佐藤内閣第1次改造内閣 | 1965年(昭和40年)6月3日 | 自由民主黨 |
87 | 有田喜一 | 第1次佐藤内閣第2次改造内閣 | 1966年(昭和41年)8月1日 | 自由民主黨 |
88 | 剱木亨弘 | 第1次佐藤内閣第3次改造内閣 | 1966年(昭和41年)12月3日 | 参議院自由民主黨 |
89 | 第2次佐藤内閣 | 1967年(昭和42年)2月17日 | 参議院自由民主黨 | |
90 | 灘尾弘吉 | 第2次佐藤内閣第1次改造内閣 | 1967年(昭和42年)11月25日 | 自由民主黨 |
91 | 坂田道太 | 第2次佐藤内閣第2次改造内閣 | 1968年(昭和43年)11月30日 | 自由民主黨 |
92 | 第3次佐藤内閣 | 1970年(昭和45年)1月14日 | 自由民主黨 | |
93 | 高見三郎 | 第3次佐藤内閣改造内閣 | 1971年(昭和46年)7月5日 | 自由民主黨 |
94 | 稲葉修 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年(昭和47年)7月7日 | 自由民主黨 |
95 | 奥野誠亮 | 第2次田中角榮内閣 第2次田中角榮内閣第1次改造内閣 |
1972年(昭和47年)12月22日 | 自由民主黨 |
96 | 三原朝雄 | 第2次田中角榮内閣第2次改造内閣 | 1974年(昭和49年)11月11日 | 自由民主黨 |
97 | 永井道雄 | 三木内閣 三木内閣改造内閣 |
1974年(昭和49年)12月9日 | 民間人 |
98 | 海部俊樹 | 福田赳夫内閣 | 1976年(昭和51年)12月24日 | 自由民主黨 |
99 | 砂田重民 | 福田赳夫内閣改造内閣 | 1977年(昭和52年)11月28日 | 自由民主黨 |
100 | 内藤誉三郎 | 第1次大平内閣 | 1978年(昭和53年)12月7日 | 参議院自由民主黨 |
- | 大平正芳 (臨時代理) |
第2次大平内閣 | 1979年(昭和54年)11月9日 | 自由民主黨 |
101 | 谷垣専一 | 第2次大平内閣 | 1979年(昭和54年)11月20日 | 自由民主黨 |
102 | 田中龍夫 | 鈴木善幸内閣 | 1980年(昭和55年)7月17日 | 自由民主黨 |
103 | 小川平二 | 鈴木善幸内閣改造内閣 | 1981年(昭和56年)11月30日 | 自由民主黨 |
104 | 瀬戸山三男 | 第1次中曽根内閣 | 1982年(昭和57年)11月27日 | 自由民主黨 |
105 | 森喜朗 | 第2次中曽根内閣 | 1983年(昭和58年)12月27日 | 自由民主黨 |
106 | 松永光 | 第2次中曽根内閣第1次改造内閣 | 1984年(昭和59年)11月1日 | 自由民主黨 |
107 | 海部俊樹 | 第2次中曽根内閣第2次改造内閣 | 1985年(昭和60年)12月28日 | 自由民主黨 |
108 | 藤尾正行 | 第3次中曽根内閣 | 1986年(昭和61年)7月22日 | 自由民主黨 |
109 | 塩川正十郎 | 第3次中曽根内閣 | 1986年(昭和61年)9月9日 | 自由民主黨 |
110 | 中島源太郎 | 竹下内閣 | 1987年(昭和62年)11月6日 | 自由民主黨 |
111 | 西岡武夫 | 竹下内閣改造内閣 | 1988年(昭和63年)12月27日 | 自由民主黨 |
112 | 宇野内閣 | 1989年(平成元年)6月3日 | 自由民主党 | |
113 | 石橋一弥 | 第1次海部内閣 | 1989年(平成元年)8月10日 | 自由民主黨 |
114 | 保利耕輔 | 第2次海部内閣 | 1990年(平成2年)2月28日 | 自由民主黨 |
115 | 井上裕 | 第2次海部内閣改造内閣 | 1990年(平成2年)12月29日 | 参議院自由民主黨 |
116 | 鳩山邦夫 | 宮澤内閣 | 1991年(平成3年)11月5日 | 自由民主党 |
117 | 森山真弓 | 宮澤内閣改造内閣 | 1992年(平成4年)12月12日 | 自由民主党 |
118 | 赤松良子 | 細川内閣 | 1993年(平成5年)8月9日 | 民間人 |
- | 羽田孜 (臨時代理) |
羽田内閣 | 1994年(平成6年)4月28日 | 新生党 |
119 | 赤松良子 | 羽田内閣 | 1994年(平成6年)4月28日 | 民間人 |
120 | 与謝野馨 | 村山内閣 | 1994年(平成6年)6月30日 | 自由民主党 |
121 | 島村宣伸 | 村山内閣改造内閣 | 1995年(平成7年)8月8日 | 自由民主党 |
122 | 奥田幹生 | 第1次橋本内閣 | 1996年(平成8年)1月11日 | 自由民主党 |
123 | 小杉隆 | 第2次橋本内閣 | 1996年(平成8年)11月7日 | 自由民主党 |
124 | 町村信孝 | 第2次橋本内閣改造内閣 | 1997年(平成9年)9月11日 | 自由民主党 |
125 | 有馬朗人 | 小渕内閣 小渕内閣第1次改造内閣 |
1998年(平成10年)7月30日 | 参議院自由民主党 |
126 | 中曽根弘文 | 小渕内閣第2次改造内閣 | 1999年(平成11年)10月5日 | 参議院自由民主党 |
127 | 第1次森内閣 | 2000年(平成12年)4月5日 | 参議院自由民主党 | |
128 | 大島理森 | 第2次森内閣 | 2000年(平成12年)7月4日 | 自由民主党 |
129 | 町村信孝 | 第2次森内閣改造内閣 | 2000年(平成12年)12月5日 | 自由民主党 |
參考資料
註腳
文獻來源
- ↑ 佐藤秀夫. 文部大臣. 吉川弘文館. 1992年.
- ↑ Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス|Cheer up! English. Cheer up! English. [2018-08-08] (日语).
- ↑ Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス|Cheer up! English. Cheer up! English. [2018-08-08] (日语).
- ↑ 官報. 1889年02月18日 - 国立国会図書館デジタルコレクション. dl.ndl.go.jp. [2018-08-08] (日语).