藤田省三 (思想史家)查看源代码讨论查看历史
藤田省三 |
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藤田省三(1927年9月17日-2003年5月28日)是一名日本的思想史家、政治學家(政治思想史)。畢業於東京大學法學部,之後長期擔任法政大學法學部教授,是戰後丸山真男學派的代表,左派系思想家。[1]
經歷
作爲丸山真男的弟子,虽然寡作,但其作品代表了日本丸山学派。長期研究以天皇制作爲国家的構造分析的戰後思想史,與鶴見俊輔共同分享『共同研究 轉向』的中心成果。美篶書房有出版『藤田省三著作集』。
出身愛媛縣,日本戰敗後18歳時由陸軍預備士官學校回到大三島,在今治市的書店讀到丸山的作品「軍国支配者の精神形態」之後,與其選擇入讀役人養成的東大法学部,他選擇了參加「丸山ゼミ」。1952年,以警察侵害大学自治为契机,加入日本共产党,后退党。被视为丸山真男政治思想史和战后历史学的继承者,深孚众望。1953年成为日本法政大学法学部助教。1956年发表的论文《天皇制国家的支配原理》是一部对近代天皇制的内部构造作出透彻剖析的划时代作品。受鹤见俊辅邀请,加入《思想的科学》杂志主办的转向研究会,与鹤见俊辅一起成为《共同研究-转向》三卷本著作的核心执笔者。其锐利的分析与批判性的思考被认为超越了其导师丸山真男。1971年辞去法政大学教授职务,在MlSUZU书房和平凡社从事组织市民讨论会和古典讨论会的活动。1980年重回法政大学。主要著作有《天皇制国家的支配原理》《维新的精神》《现代史断章》《转向的思想史的研究》《全体主义的时代经验》等,合著有与久野收、鹤见俊辅以座谈形式写就的《战后日本的思想》。有《藤田省三著作集》(全10卷),收集了藤田省三的有关政治思想叙述的绝大部分巨作。
因爲大腸癌和肺炎而死去,以自然葬的方式葬在「西多摩再生の森」。
- 1950年 - 東京大学法学部入学
- 1953年 - 法政大学法学部助手
- 1966年 - 法政大学法学部教授
- 1971年 - 法政大学法学部教授を依願退職
- 1980年 - 法政大学法学部教授に復帰
- 1993年 - 法政大学を定年退職(法政は本人が望めば70歳まで定年を延長できるが、藤田はそれを申請せず、65歳で定年退職した)
著作
- 単著
- 『天皇制国家の支配原理』(未來社, 1966年)
- 『維新の精神』(みすず書房, 1967年)
- 『転向の思想史的研究――その一側面』(岩波書店, 1975年)
- 『精神史的考察――いくつかの断面に即して』(平凡社, 1982年 / 平凡社ライブラリー, 2003年)
- 『全体主義の時代経験』(みすず書房, 1995年)
- 『戦後精神の経験(1・2)』(影書房, 1996年)
- 共著
- (久野收・鶴見俊輔)『戦後日本の思想』(中央公論社, 1959年 / 勁草書房, 1966年 / 講談社文庫, 1976年 / 岩波書店同時代ライブラリー, 1995年 / 岩波現代文庫, 2010年)
- (萩原延壽)『瘠我慢の精神 福沢諭吉「丁丑公論」「瘠我慢の説」を読む』(朝日文庫, 2008年)
- 著作集
- 『藤田省三著作集』(みすず書房, 1997年-1998年)
- 1巻「天皇制国家の支配原理」
- 2巻「転向の思想史的研究」
- 3巻「現代史断章」
- 4巻「維新の精神」
- 5巻「精神史的考察」
- 6巻「全体主義の時代経験」
- 7巻「戦後精神の経験(1)」
- 8巻「戦後精神の経験(2)」
- 9巻「『写真と社会』小史」
- 10巻「異端論断章」