释教三十六歌仙
释教三十六歌仙(しゃっきょうさんじゅうろっかせん ),又称释教三十六人歌仙、释门三十六歌仙或释教三十六人歌合,是日本南北朝时代的和歌集,由劝修寺僧人荣海于贞和3年3月20日(1347年5月1日)编撰而成,采用左右各一首的歌合形式,全数和歌均同时收录于敕撰和歌集[1]