九州探題
九州探題 |
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九州探題(日語漢字:九州探題,假名:きゅうしゅうたんだい,羅馬字:Kyūshütandai)是室町幕府設置的九州統轄機關。踏襲鎌倉時代的鎮西探題,為了統治九州而設置。應仁之亂後成為有名無實的機關。[1]
江戶幕府為了監視九州諸藩、統治天領而設置相同性質的西國筋郡代。
目錄
歷代九州探題
- 武田信武(任:1333年 - 133?年、北朝方)
- 一色範氏(任:1336年 - 1346年、北朝方)
- 一色直氏(任:1346年 - 1351年、北朝方 1351年 - 1352年、南朝方 1352年 - 1358年、北朝方)
- 足利直冬(任:1351年 - 135?年、北朝方 1353年/1354年? - 1361年、南朝方)
- 細川繁氏(任:1358年、北朝方)
- 斯波氏經(任:1361年 - 1365年)
- 澀川義行(任:1365年 - 1370年)
- 今川了俊(任:1370年 - 1395年)
- 澀川滿賴(任:1396年 - 1419年)
- 澀川義俊(任:1419年 - 1428年)
- 澀川滿直(任:1428年 - 1434年)
- 澀川教直(任:1434年 - 1479年)
- 澀川萬壽丸(任:1479年 - 1487年)
- 澀川政教?(任:1490年 - 1500年)
- 澀川尹繁(任:1487年(一説1500年) - 1504年?)
- 澀川義長(任:1504年? - 1533年)
- 澀川堯顯?(任:1533年? - 1534年?)
- 大友義鎮(任:1559年 - ?)